お花畑再生事業

美しい草花が広がっていた頃の風景を取り戻すために

美ヶ原高原は、昔鹿や熊が住む森でした。

人里に近かった為、明治の頃から人の手が加わるようになり、森は薪や炭に利用されたり山火事にあったりしたため草原にかわってしまいました。

やがて、草原は馬や牛のえさ、田畑の肥料とする草刈場や牧場として利用されるようになりました。

放牧がまだ少ない頃の台上はお花畑と呼ばれる美しい草原が広がっておりましたが、昭和30年頃からは放牧もさかんになり牧場が広がり、バスも通るなったので建物が建ち駐車場もつくられました。

高原は誰でもが行き楽しめる広場となってきました。

しかし、高原の草原に生活していた虫や小鳥などの動物は住処を追われだんだんと少なくなりました。


1986年頃の武石峰付近

2006年頃の武石峰付近

ビーナスラインの開通

美しい自然のある美ヶ原高原でしたが、大勢の人が行けることを願って諏訪方面からの観光道路「ビーナスライン」が計画され昭和56年に開通し、気軽に高原を訪れ観光を楽しめるようにました。
ビーナスラインの開通で、バスやマイカーによる観光客が急増し訪れる人が年間200万人を越えるようになりました。
人々は草原に入って土壌を踏み固めたため、美しい花をつける草は枯れ荒れた地がだんだんと広がってしまいました。


1989年頃の武石峰付近

2006年頃の焼山付近

自然を残すために

管理する長野県は荒れてきた高原を昔の草原に戻そうと考え、自然歩道や休む場所を造りました。
また大学の先生にお願いして、昔の草原にする研究をしてもらいました。
一度壊れてしまった草原は、寒い土地で乾燥もするため、なかなか昔の草原には戻りませんが長年の努力で少しずつ荒れ地もなくなってきました。
しだいに環境や整備が整ってきて、季節ごとに花が咲き、虫や小鳥が再び住むようになってきました。
徐々に昔の美ヶ原高原の姿に戻ってきて、登山道なども整備されました。
登山道からそれた場所(保護区域内)を歩いたり、草木や生物を採取したり石を落としたりなどしないように保護することで、今もこれからも未来のために美しい美ヶ原の自然を守ることにつながります。


1989年頃の思い出の丘付近

2006年頃の思い出の丘付近

在来草原植物の保護育成と、お花畑と呼ばれれていた美しい草原が広がっていた頃の風景を取り戻すように、繁茂した笹の刈り取りを行ってます。

信州屋外研究会様などの調査研究により、笹を刈るなど継続的に人がかかわり行うことで高原の生態系は確実に再生され、維持できるものと言われております。

笹狩りの作業写真1
笹狩り作業の様子
笹狩りの作業写真2
在来の草木を傷めないように作業を行っております


お花畑と呼ばれていた頃の風景

地域再生事業

TOP